2021年創立45周年を迎える
今年当協会は創立45年を迎えました。市民の国際化を目指し、姉妹都市であるマウンテンビュー市との交流事業、そして研修事業としての英会話教室を行っています。今年も昨年同様コロナ禍にあり、総会の開催及び学生の交流事業その他核イベント活動を残念ながら中止することになりました。総会については書面での審議結果により、前年度事業報告・収支決算および今年度の事業計画案、収支予算等の議事についてすべて承認されました。会員皆様のご協力に感謝いたします。
今後、当協会が継続してきた活動を創立50周年に向け、協会の事業を通して姉妹都市交流の発展と会員同士の心のつながりをさらに深めていく協会にしたいと思います。どうぞ皆様のご声援をよろしくお願い申し上げます。
取材レポート |
~国際姉妹都市提携秘話~
今回(平成20年7月14日)当協会の田中会長と三上事務局長が、当協会創立の立役者である山内元市長から国際姉妹都市提携秘話などの思い出話しをお聞きしました。
MV市(マウンテンビュー市)との姉妹都市提携のきっかけ |
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当時(1973年)のアメリカは、世界各国と姉妹都市を提携し、アメリカの国際化をはかる政策をうちだしていた。おりしも磐田市も国際文化交流を推進しようと、外国との姉妹都市提携を模索していた。一方、商店街の研究においても商業・経済の活性化をはかるため、経済成長の著しいアメリカの大都市LA、NY、ワシントン、サンフランシスコへと視察団を派遣していた。その視察途中であるが、偶然にもMV市へ訪問するという機会があった。MV市は人口や文化面において、磐田市との共通点が多く、当時の市長アンダーソン氏から熱烈な歓迎をうけ、その市長との出会いがMV市との姉妹都市提携のきっかけとなった。
訪問団立会いのもとで調印式 |
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1976年6月、市議会議員や公募した一般市民団体55人がMV市を訪問し、調印式は木造の市庁舎において訪問団立会いのもとに行なわれた。
今は立派な市庁舎となっている。当時は木造建築であったことが思い出される。
交流のはじまりとアンダーソン市長との絆 |
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調印の翌月にはマウンテンビュー市から9名の交換学生と17名の少年少女楽団が磐田市を訪問し、交流がはじまった。以来学生の派遣と受入が1年ごとに行われ、今年度は32回目の交流となった。市長アンダーソン氏は磐田市を大変気に入り、調印後、毎年のように私邸や友人宅にホームステイして磐田市を訪問しており両市の友好を深めてきた。
アンダーソン氏とは近年まで個人的にも友情を深めてきたが、提携30周年を前に逝去された。同人の遺言によりMV市から遺骨の一部を受け取り、第二の故郷としていた磐田遠州灘の海に私や友人達と一緒に散骨しており、両市の強い友情の絆を残している。
この散骨の時に山内氏本人がアンダーソン氏を偲んで詠んだ俳句
亡き友の 散骨悲し 冬の海
もう一人の功労者 フレッド氏と俳句 |
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日系二世のフレッド氏は日本語が堪能で、アンダーソン市長の右腕として秘書役を務め、姉妹都市提携に貢献した人物である。そして親日家で尺八や俳句など日本文化にも精通している。
このフレッドとは数年前になるが、フッドが自宅に尋ねてきてくれたが、私の聞き違いにより、私が浜松駅に迎えに行ってしまったことから会うことができなかった。あとで電話して「また会いましょう」と言葉を交わしたが、その後会わずして亡くなってしまったことが今は残念な思いで一杯である。彼とは長い間、手紙のやり取りをしていたが、その手紙の中に彼がアンダーソン氏を偲んでつくった次の俳句がある。
In California you have been feeling a very sad summer
加州には 淋しき夏と なりにけり
<17 Syllable Type of Poem Called HAIKU(17母音からなる俳句の詩)>
取材を終えて |
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夏の暑い日ざしの中、国際姉妹都市協会の産みの親である山内元市長の自宅の門をくぐると庭木を手入れしている山内様の姿がありました。97歳というご高齢にもかかわらず、しゃきっとした姿勢と歯切れのよい言葉、そして私達を部屋に通した後、自らお茶とお菓子を用意するなど、私達への気遣いに頭が下がりました。当協会は設立して今年で32年になりますが、お話はまずMV市との歴代市長の名前や訪問団についてのこと、交流のきっかけなどを話され、そのひとつひとつの記憶力の確かさに驚かされるとともに、今もってMV市とのつながりを何よりも大事にしていることを学ばせていただきました。また、当協会の活動の原点は人と人とのつながりであること、それが30年以上の長い歴史をつくってきていることに深い感銘を受けました。