1975年フィリピンのダグパン市のマナオイス市長が当市を訪れ、「姉妹都市になって日・比の平和に尽くしたい。アジアは一つである。」と強調したのが始まりで、1975年2月姉妹都市提携を結んだ。
交流は市民中心で、当市からは1976年80名、79年44名、81年52名の市民がそれぞれ訪問。又、ダグパン市からはほぼ毎年市長他関係者が來磐した。
途中フィリピン国の政情不安の為交流が一時途絶えたが、2006年の姉妹都市提携30周年時には、市長はじめ数名の高校生が來磐し交流が再開した。
この時点でダグバン市長の再交流を目指したものの当該市長の再選がされず、それ以後、ダグバン市との学生交流事業は再び途絶えている。